世界史の中の嬉野市

 2023年11月に佐賀県市町村振興協会の公式行事としてイタリア南部のプーリア州へ出張する機会を得ました。公務としては初めてとなる海外渡航。この貴重な機会をとらえて嬉野市独自の外交行事として、嬉野温泉公衆浴場「シーボルトの湯」や「シーボルトの足湯」で名を遺すフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796~1866年)の旧家があるオランダにも足を延ばしました。また、同国には日本への憧れを抱き続けた画家のフィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890年)の作品を所蔵するファン・ゴッホ美術館があります。日本の夜明けが近い幕末期に、遠く嬉野から長崎を経由して輸出された「うれしの茶」にゆかりのある木箱の裏に青年ゴッホが描いた絵を間近で見ることもかないました。現地での活動報告と共に、世界史の中の嬉野市を垣間見ていただければ幸いです。

 

 そもそものイタリア訪問のきっかけは平成27年から令和元年にかけて毎年行われた市町村振興協会主催の職員研修で、スローフードやアグリツーリズムを地域戦略として進めるイタリア南部の農業事情を学んだことでした。コロナ禍による中断を経て令和4年秋にイタリアプーリア州の農林水産部門の責任者と現地で著名なシェフが佐賀県を訪れて、嬉野市の茶や西洋野菜の栽培、酪農など多彩な農業の実態を見聞いただいて高い関心を寄せていただきました。当時のイタリアの新聞の電子版にも国重要伝統的建造物保存地区「塩田津」を背景にした写真と共に掲載されました。

(写真上)嬉野市視察を伝えるイタリア地方紙の電子版

 

 プーリア州はイタリア南部のアドリア海に面した側で、「長靴のかかと」部分に位置する港町です。麦、オリーブ、ワイン用ブドウをメインに多種多様な品目が生産されており、タコなどの豊富な海産物がご当地の料理を彩ります。州都バーリは、サンタクロースのモデルとなった聖人を祭る「サン・ニコラ聖堂」をはじめ、中世の港町として繁栄した歴史的風致が素晴らしいまちでした。そんな街並みに親しむ人たちが嬉野市を訪れた際には、「塩田津」の西岡家を見て私どもの学芸員に熱心に質問されているのを見て、景観も文化を形作る大事な要素であることを改めて実感します。軒先で手打ちパスタを干す風景や冷凍食品の類をほとんど見かけることのないスーパーマーケットなど、見るものすべてに考えるきっかけをいただきました。州政府で同協会ならびに佐賀県市長会、佐賀県町村会の3者とプーリア州農業・環境保護局との調印式に臨み、互いの食と農の振興に関する包括的な連携を続けていくことで合意しました。同州での環境配慮型農業の現場や農泊体験と組み合わせた農業経営も見聞しました。

 

 同協会の公式行事を終えて嬉野市の外交行事としてオランダ・アムステルダムへ向かいました。ファン・ゴッホ美術館は国立美術館や現代アートを展示する市立美術館が並立するアートのエリアにあります。コーポレート・パートナーシップス担当のウリータ氏の案内で館内を巡る中で1つの絵と出会うことができました。

 

 ゴッホ作『ヒヤシンスの球根のバスケット』です。この絵は裏側に「起立工商會社」と墨書きされていて今でいう伝票のようなものが貼付しています。起立工商會社は明治初頭に設立された貿易会社で、嬉野茶の海外輸出を担っていた実業家・松尾儀助が初代社長を務めていました。同社はパリにも支店があり、パリ時代のゴッホが手に入れたのではないかとされています。田川栄吉『政商 松尾儀助伝』では、儀助がゴッホとやりとりをしながら茶箱のふたを持ち帰る様子を描いている。やりとりそのものが史実かどうかは定かではないが、浮世絵を模した作品を描くなど、ゴッホが日本への強い情念を持っていたのは事実で、その木箱が嬉野から遠くヨーロッパに渡り、後世に名を遺す画家の手によって長く愛される存在になったとすれば、とても味わい深い話。ウリータ氏には、嬉野への里帰り展の可能性も含めて熱意を伝えました。美術館自体が数多くの日本企業が協賛していることもあり、さまざまなアプローチで熱意を伝え続けて実現したいと思います。

ファン・ゴッホ美術館の公式「X」のポストより。起立工商會社についての紹介もされている。

 

 その後鉄道でライデン市へ移動し、日本博物館シーボルトハウスで武雄市の小松市長とともにクリス館長を訪ねました。武雄市も蘭癖大名と呼ばれた武雄領主・鍋島茂義公のゆかりの品を数多く展示するまち。嬉野市は、医師であるシーボルトが嬉野温泉を調査したことでも知られ、公衆浴場「シーボルトの湯」としてその名を刻んでいます。クリス館長は両市の来訪を大変喜んでいただきました。同館の展示に「シーボルトが日本から蘭領東インドのジャワに茶を運んだ」とあり、それまで航海に耐えた茶の種子はなかったが、日本で栗の実を、鉄分を含んだ土の中に埋め込めば発芽能力が保持できる方法を応用したそうです。その茶の実はうれしの茶の産地のものである蓋然性は高いと思われます。遺伝子検査も含めて最新技術で鑑定することも可能なのかも知れません。
 さらに鉄道で南下して政治の中心地ハーグにある「在オランダ日本大使館」にも参りました。南博全権大使と面会してゴッホの絵画のこと、シーボルトとのご縁、嬉野市も協力に推進する施設園芸や酪農の先進国でもあるので、今後若手農家たちが技術研修等をできないかなどいろいろとお話させていただきました。南大使も嬉野温泉へお越しいただいたことがあり、終始和やかに会談できました。英語版のパンフレット、嬉野温泉の素、うれしの茶も大量にお持ちして今後のPR事業でご活用いただけることにもなりました。面会にあたっては佐賀県から派遣されている池谷二等書記官に多大なご尽力をいただきました。

 今回の欧州訪問は視察研修というよりは嬉野市の外交行事に位置付けて行いました。事前の日程調整も語学やビジネス経験も豊富な本市の職員に依頼し、随行もお願いしたところです。うれしの茶を毎年贈っているローマ教皇庁へのアポイントは現地到着日が土曜日ということもあり実現しませんでしたが、ローマからバーリはイタリア高速鉄道「フレッチャロッサ」に乗り、オランダの都市間移動も鉄道を使い、費用を抑えるとともに車窓から広がる田園風景やまち並みを眺めつつヨーロッパの鉄道事情についてもうかがい知る機会を得ました。正直、首長の海外渡航については厳しい目線が注がれている最中で悩ましいものがありました。渡航費用は協会からの補助をいただくとは言え、2人分の費用を捻出するためには直行便ではなく乗り継ぎや早期割引運賃を活用して費用を極力圧縮しました。何より1分1秒を無駄にしないよう、そして嬉野市の今後につながる動きをと心がけました。

 うれしの茶とゴッホ、嬉野温泉とシーボルト―。幕末激動期の当時は世界情勢を動かす戦略物資だったお茶が世界を駆け巡り、遠くヨーロッパともつながっていく歴史ロマンに心揺さぶられるひとときでした。今の嬉野市を生きる皆さんが先人の営みに思いをはせ、誇りを持つきっかけを作っていきたいと思います。そして円安の中で今後急増が見込まれるインバウンドの受け入れにあたっても現地の味覚や風土に触れたことは大きな意味を持つと思います。今後精いっぱい市政運営に取り組んでいく中で結果を出したいと思います。

 

令和6年2月19日 村上 大祐

 

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